高校日本史B
5分でわかる!称徳天皇の時代
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この動画の要点まとめ
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称徳天皇の治世
これでわかる!
ポイントの解説授業
権力を握り、政治のトップに立とうとするも大失敗
淳仁天皇が配流され、 称徳天皇 が即位すると、 道鏡 (どうきょう)の台頭が著しくなります。
道鏡は、太政大臣禅師という道鏡専用の役職に次いで、宗教の世界のトップである法王にもなります。
更に765年には寺院以外の開墾を禁じる 加墾禁止令 (かこんきんしれい)を制定して、自分たちだけが儲けられるようにしました。
そして最終的に、道鏡は天皇の位を欲しがりましたが、 宇佐八幡信託事件 (うさはちまんしんたくじけん)で失敗します。
まず、朝廷に「道鏡を天皇にすべし」という神のお告げが届きました。
和気清麻呂(わけのきよまろ)はこれを確かめるために、九州の宇佐八幡まで行きますが、その神託が嘘であると報告しました。
これが 宇佐八幡信託事件 です。
結果的に道鏡は天皇になれず、この事件で称徳天皇と道鏡の怒りを買った清麻呂は穢麻呂と名を変えさせられ大隅に配流されました。
そのすぐ後、称徳天皇が770年に亡くなると、後ろ盾を失った道鏡の権勢は落ち、下野国(今の栃木県)の薬師寺に左遷されることとなりました。
そして、道鏡が天皇になることを阻止した和気清麻呂は政府に復帰し、名前も元に戻ることになりました。
このように、 奈良時代の終わりのころになってくると、権力争いばかりで政治はぼろぼろになってしまっていました 。
2つ目のポイントは、 称徳天皇の治世 です。
権力を取り戻した孝謙天皇が再び即位し、今度は 称徳天皇 (しょうとくてんのう)と名前を変えて政治を行っていった時代について見ていきます。