高校日本史B
5分で解ける!奈良時代5に関する問題
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練習の解説授業
天智天皇の家系に戻った光仁天皇
称徳天皇が没したため、天武天皇の家系が断絶してしまいました。
代わりに称徳天皇の後で即位した 光仁天皇 は、 天智天皇 の孫です。
そしてこの光仁天皇の時代は、藤原百川と藤原種継が律令制の再建を目指して政治を行いました。
新羅との関係などで航路が変わった遣唐使
奈良時代から平安時代まで、唐の長安に 遣唐使 が派遣されました。
遣唐使の航路はもともと朝鮮半島に沿う 北路 でしたが、新羅との関係悪化や航路技術の発達により、南島路を経て 南路 へと変化しました。
外交の他に唐の技術や文化を学ぶ留学生も派遣されましたが、 阿倍仲麻呂 のように日本に帰らず唐に使える人物もいました。
中国の北東、渤海とも良い関係を作っていた
中国の北東部にできた 渤海 は、日本に使者を派遣しました。日本は越前に 松原客院 、能登に能登客院などを建て、渤海使の滞在地としました。
特に、遣唐使は大切な内容です。
飛鳥時代から平安時代まで長く続き、日本の政治や文化に大きな影響を与えました。
まずは遣唐使を中心に、新羅や渤海とも関係があった、ということを覚えていきましょう。
では、練習問題で、授業の内容を確認しましょう。