高校日本史B

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5分でわかる!藤原良房の時代

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この動画の要点まとめ

ポイント

藤原良房の時代

平安時代2 単語2 藤原良房の時代平安時代2 ポイント2 藤原良房の時代

これでわかる!
ポイントの解説授業
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藤原冬嗣 の後に実権を握った 藤原良房 (ふじわらのよしふさ)は、他氏排斥を進めて摂政まで上り詰めます。
2つ目のポイントでは、この 藤原良房 が辿った権力掌握の流れと、具体的に行った政治について、詳しく見ていきましょう。

藤原良房の権力掌握

平安時代2 ポイント2 藤原良房の時代 再利用

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この時代、養老律令の官選注釈書である 令義解 (りょうのぎげ)が完成します。
養老律令はこの時代すでに編纂から100年以上が経過したため、意味が伝わり辛い部分などが多くあったのです。
そこで、注釈書が必要になり、この令義解が作られました。

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ここから、良房の権力掌握が始まっていきます。
良房は、まず842年、 承和の変 という、最初の他氏排斥を行います。
この承和の変で、良房は 橘逸勢 (たちばなのはやなり)、伴健岑(とものこわみね)らを、謀反の疑いがあるという理由で配流しました。
また良房は、甥の道康親王を皇太子とします。この後、道康親王が文徳天皇となるので、良房はその文徳天皇の叔父になるわけです。

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さらに、その文徳天皇の后は良房の娘である明子であり、二人の子どもが文徳天皇の後を継いで清和天皇となります。
これにより、 良房は清和天皇の外祖父となった のです。
清和天皇は即位当時9歳の天皇でした。その補佐のため、良房は実質的に 摂政 に就任し、天皇を差し置いて絶大な権力を得ます。

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良房は摂政となった後も手を緩めず、 応天門の変 という更なる他氏排斥を行います。
この 応天門の変 で、応天門に放火した、という罪で伴善男らを配流しました。
このようにして良房は、権力を狙う有力なライバルを次々と排斥することに成功しました。

この授業の先生

黒川 広貴 先生

「どこがテストに出るの?」「どうやって覚えたらいいの?」「どうしたら点数がとれるの?」という疑問に答え、着実に点数を伸ばすための授業を展開。

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