高校日本史B
5分でわかる!醍醐天皇の時代/延喜の治
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この動画の要点まとめ
ポイント
延喜の治
これでわかる!
ポイントの解説授業
前の時代に活躍した菅原道真が左遷
醍醐天皇 は、天皇が中心となって政治をする 親政 を行いました。
そのため、この時代は、藤原氏が摂政や関白にはなっていません。しかし、他氏排斥、つまり藤原氏のライバル潰しは行っています。昌泰の変(しょうたいのへん)です。
この昌泰の変では、藤原時平によって、前の宇多天皇の時代から活躍していた菅原道真が大宰府の大宰権帥(だざいごんのそち)という役職に左遷されています。
延喜の荘園整理令
この時代、戸籍・計帳といった律令の基本台帳の制度が崩れ、班田が機能しなくなり、国家の税収が確保しにくくなっていました。
そこで醍醐天皇は、朝廷の貴族が作っていた勅旨田(ちょくしでん)など違法な土地所有を廃止して、班田を再び実施する 延喜の荘園整理令 (えんぎのしょうえんせいりれい)を行いました。
しかし、延喜の荘園整理令の成果は芳しくなく、結果的に最後の班田実施となってしまいました。
この 延喜の荘園整理令 は、次回に出てくる延久の荘園整理令と区別することがとても大切になります。
ここではまず、醍醐天皇の延喜の治の時に、延喜の荘園整理令という命令が出された、ということを押さえておけばOKです。
またこの時代は中央だけでなく、地方でも政治が乱れていました。
それを受けて三善清行は醍醐天皇に意見封事十二箇条(いけんふうじじゅうにかじょう)を提出し、政治改革を提案しました。
ここまで、醍醐天皇の延喜の治について、見てきました。
醍醐天皇の「醍醐」という字や、菅原道真が左遷されて就いた大宰権帥の「帥」という字は間違えやすいので、気をつけましょう。
今回は、 醍醐天皇 ・ 村上天皇 (だいごてんのう・むらかみてんのう)の時代を中心に見ていきます。
醍醐天皇と村上天皇は、摂政・関白を置かず、天皇を中心とした政治である 親政 (しんせい)を行いました。
二人の治世を 延喜・天暦の治 (えんぎ・てんりゃくのち)と呼びます。
1つ目のポイントでは、醍醐天皇が行った 延喜の治 について見ていきましょう。