高校日本史B
5分でわかる!後三条・白河天皇の時代
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この動画の要点まとめ
ポイント
後三条天皇の治世と後三年の合戦
これでわかる!
ポイントの解説授業
藤原氏の力を失わせるために出された延久の荘園整理令
後三条天皇 は、1069年に、大江匡房(おおえのまさふさ)の建議による 延久の荘園整理令 (えんきゅうのしょうえんせいりれい)を実施します。
荘園からの収入は、藤原氏の大きな財源となっていました。
そこで後三条天皇は、 荘園を廃止することで、藤原氏の財政に打撃を与え、力を失わせようとした のです。
荘園整理令自体は、今までにも出されていましたが、政治権力を握る藤原氏が協力しなかったため、うまくいったものはありませんでした。
しかし、後三条天皇は藤原氏との外戚関係(母方の父親が藤原氏になる)がありませんでした。
加えて後三条天皇は、荘園廃止が円滑に実行されるように 記録(荘園券契)所 (きろくしょうえんけんけいじょ)という特別な役所を設置します。
後三条天皇が行った延久の荘園整理令は、以前、醍醐天皇が行った延喜の荘園整理令と名前が似ています。
しかし、 延喜の荘園整理令との違いとして、延久の荘園整理令では①荘園の廃止を強く進めた、②班田が行われていない、などがあげられるので、区別して覚えましょう 。
後三年の合戦を経て、奥州藤原氏が繁栄
後三条天皇の後の白河天皇の時代には、前九年の合戦が起こった陸奥で清原氏の内紛が起こります。 後三年の合戦 (ごさんねんのかっせん)です。
前九年の合戦でも鎮圧に活躍した源義家が、後三年の合戦でも再び活躍し、この内紛は鎮圧されます。
その後、内紛を制した清原清衡は 藤原清衡 (ふじわらのきよひら)に名を戻します。
この清衡から、基衡、秀衡、泰衡(もとひら、ひでひら、やすひら)と続く 奥州藤原氏 (おうしゅうふじわらし)の繁栄が始まることになりました。
道長・頼通の時代は、この二人が権力を握っていたため、天皇には権力がありませんでした。
しかし、藤原頼通の後、天皇と外戚関係にない 後三条天皇 (ごさんじょうてんのう)が即位します。
そして、藤原氏からの強い影響力が無くなった後三条天皇は、天皇中心の政治である 親政 を行っていきます。