高校日本史B
5分でわかる!鳥羽院政・保元の乱
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この動画の要点まとめ
ポイント
鳥羽院政
これでわかる!
ポイントの解説授業
鳥羽上皇の死後に起きた権力争い、保元の乱
院政の2人目、鳥羽上皇の時代には、平氏の 平忠盛 が瀬戸内海の海賊を討伐して上皇に気に入られ、昇殿を許されるようになりました。
この鳥羽上皇のときには、他に 八条女院領 (はちじょうにょいんりょう)という荘園群が集められたりもしています。
鳥羽上皇は院政を続け、出家して法皇にもなりましたが、鳥羽上皇の死後、 1156年 に、権力争いである 保元の乱 が勃発します。
争いの中心となったのが、鳥羽上皇の息子たち、兄の崇徳上皇と弟の 後白河天皇 です。
次の実権を争う二人に、藤原氏や、武士である平氏や源氏の家督争いまでも巻き込んで起こりました。
この戦いは、後白河天皇側が勝利します。
そして、勝利した後白河天皇側に付いていた中でも、特に武士の 平清盛 (たいらのきよもり)と 源義朝 (みなもとのよしとも)が権勢を強めます。
人が多く出てきて、ごちゃごちゃになりやすいところなので、まずは勝利した側の 後白河天皇 ・ 平清盛 ・ 源義朝 を確実に覚えましょう。
余裕が出てきたら、上の図をもう一度見て、戦いに関わった藤原氏や、負けた崇徳天皇側の人々も覚えていくと良いでしょう。
白河上皇の死後、 鳥羽上皇 が院政を開始します。
2つ目のポイントでは、主にこの鳥羽上皇の死後に起きた戦乱について扱っていきます。