高校日本史B
5分で解ける!院政3(第2問)に関する問題
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この動画の問題と解説
問題
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院政の確認テスト【一問一答問題】
解説
これでわかる!
問題の解説授業
次は一問一答です。
問題2(1)
問題2(2)
独自の軍事力として院庁に雇われた武士は、戦いのなかで自身も政治に進出してきます。
鳥羽法皇の死後、 1156年 に起こった崇徳上皇方と 後白河天皇 方の戦いを 保元の乱 、それから3年後、1159年に平氏と源氏の争いを中心に起こった戦いを 平治の乱 といいます。
2つの戦いに勝利した平家の棟梁(リーダー)は 平清盛 で、この後、政権を握っていくことになります。
そして、平治の乱で清盛に敗れたのは源氏の棟梁であった 源義朝 でした。ちなみに、義朝の息子である頼朝は伊豆に流され、後に鎌倉幕府を開くほどに成長することになります。
院政においては、上皇は 院庁 という役所で政治を行いました。
上皇は、直接出す命令である 院宣 と、この院庁を経由して出される公的な命令である 院庁下文 の二つを使って、政治を行っていきました。
その院庁で働く役人は院司と呼ばれ、その院司には、 院の近臣 という上皇の側近が登用されました。