高校日本史B
5分でわかる!治承・寿永の乱(源平の争乱)―前半―
- ポイント
- ポイント
- 練習
この動画の要点まとめ
ポイント
治承・寿永の乱(源平の争乱)―前半―
これでわかる!
ポイントの解説授業
平清盛が権力を握り、平安京からの遷都を行った
1180年、安徳天皇が即位しました。
安徳天皇は、高倉天皇と清盛の娘である徳子の子でした。
清盛は安徳天皇の母方の祖父(外祖父)となり、ますます権勢を強めます。
そして清盛は、平安京から、港の近くの 福原京 (ふくはらきょう)への遷都を行います。しかし、結局はわずか半年で平安京に戻ることになります。
ちなみに、平安京に初めて遷都した794年から、明治時代が始まる1868年までの1000年以上の中で、唯一都が平安京から離れた半年間でもあります。
平氏打倒の令旨を受けて、各地で武士たちが挙兵
福原京 遷都と同じ年、後白河の子である 以仁王 (もちひとおう)が、平氏追討の令旨を出します。
以仁王自身の挙兵は失敗しますが、この令旨を受けて、木曽の 源義仲 (みなもとのよしなか)や、伊豆に流されていた 源頼朝 (みなもとのよりとも)らが挙兵します。
このうち、源頼朝はこの後鎌倉に入って、幕府を作る準備を始めます。
一方、怒った清盛が、興福寺など南都の寺社を焼き討ち( 南都焼き討ち )にしてしまうなど、都の周辺は戦いや争いが相次ぐようになります。
しかし翌年、清盛は突然死んでしまいます。
これを受けて、清盛に幽閉されていた後白河が復活して、院政を再開することになります。
ここからは、 治承・寿永の乱 (じしょう・じゅえいのらん)と呼ばれる、源氏と平氏の争いについて、その争いが始まっていく部分を見ていきましょう。