高校日本史B
5分で解ける!平氏政権2に関する問題
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練習の解説授業
寿永二年十月宣旨を受けて、頼朝が兵士滅亡に乗り出す
後白河法皇 から 寿永二年十月宣旨 で東国の支配権を与えられたのは、 源頼朝 です。
頼朝は、保元の乱などで活躍した源義朝の息子です。
そして、この東国の支配権の代わりとして、頼朝は弟たちを派遣して、京都で暴れていた源義仲や、平氏の残存兵たちを倒していきます。
平氏は、 一ノ谷の戦い 、屋島の戦いなどに続けて敗れ、 壇ノ浦の戦い でついに滅亡します。
平氏滅亡後、頼朝は奥州藤原氏を倒し、征夷大将軍に昇り詰める
平氏滅亡後、頼朝と義経の対立が深まります。
頼朝は、義経をかくまったとして 藤原泰衡 を滅ぼします。
これにより、東北地方で栄華を誇っていた奥州藤原氏は滅亡しました。
さらに、後白河法皇の死後、1192年に頼朝は 征夷大将軍 に任命され、ここで鎌倉幕府が完成したとされています。
平安時代と鎌倉時代の間の時期、平氏政権~鎌倉幕府の成立までを見てきました。
次回の確認テストの後、鎌倉幕府がどういう仕組みで運営されていったのかについて、見ていきましょう。
では、平氏滅亡までの流れと鎌倉幕府の成立について、練習問題で確認していきましょう。