高校日本史B
5分で解ける!鎌倉時代3 鎌倉幕府の構造3(第2問)に関する問題
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この動画の問題と解説
問題
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鎌倉時代1・2(鎌倉幕府の構造)の確認テスト【一問一答問題】
解説
これでわかる!
問題の解説授業
問題2(1)
ちなみに、「政所」とは元々貴族に使われていた言葉です。
政所という名前に変わった1191年は、源頼朝が右近衛大将という朝廷の役職に任じられた年です。
源頼朝は、この右近衛大将自体はすぐに辞退しますが、お役所の名前を貴族風の「政所」に変え、以後この名前で運用していくことになります。
問題2(2)
鎌倉時代の封建制度における「御恩」は、将軍が御家人を地頭に任命し、担当する土地の領有権を保証することでした。
このうち、新たに土地を与えるものを、 新恩給与 (しんおんきゅうよ)と言います。
一方で、御家人となる人がそれまで持っていた土地の領有権について、将軍が承認するものを、 本領安堵 (ほんりょうあんど)といいました。
問題2(3)
一国に一人置かれた守護の権限は、謀反人逮捕、殺害人逮捕のほかに 大番催促 (おおばんさいそく)がありました。
この三つの権限を合わせて 大犯三カ条 (たいぼんさんかじょう)と呼びます。
守護の権限は最初、この大犯三カ条だけでしたが、鎌倉時代、室町時代と時代が進むにつれ、徐々に権限が追加されていくことになります。
財政や政務一般にあたる鎌倉幕府の役職を 公文所 (くもんじょ)といいます。
公文所の長官を別当と言い、その初代別当となったのは、貴族出身の 大江広元 です。
後の1191年には、 政所 (まんどころ)という役職に変わります。