高校日本史B
5分でわかる!北条泰時の時代
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この動画の要点まとめ
ポイント
3代執権 北条泰時の時代
これでわかる!
ポイントの解説授業
連署・評定衆を設置して政治体制を固めていく
北条泰時は執権となりましたが、同時に執権を補佐する 連署 (れんしょ)という役職を設置します。
初代連署は、泰時と共に承久の乱で幕府を攻め、六波羅探題となっていた 北条時房 です。
将軍は既に権威を失っていたので、 政治の中心として執権が、その補佐として連署がいる 、という状況になりました。
また泰時は、政務・裁判を話し合いで決めるための機関として 評定衆 (ひょうじょうしゅう)を設置しました。
これまでも、有力な御家人の合議によって政治が動かされていましたが、幕府の機関として正式に設立したことになります。
ちなみに、評定衆は13人で構成されました。
源氏の将軍がいなくなり、飾りの将軍が置かれるようになった
3代将軍の源実朝が殺害された後、将軍の座は空席となっていました。
周囲の反発を避けたい泰時は、自身が将軍に就任することはせず、形だけで力を持たない飾りの将軍を、身分の高い藤原氏から連れてきます。
これが 摂家将軍(藤原将軍) です。初代の摂家将軍となったのは、九条頼経(くじょうよりつね)という人です。
当時の藤原氏は、近衛(このえ)・一条・二条・九条・鷹司(たかつかさ)の五摂家に分裂してしまっていました。
ちなみに、この5家のうち、筆頭格であったのは近衛家です。
2代執権の北条義時が亡くなると、その後を継いで息子の 北条泰時 (ほうじょうやすとき)が執権となります。
このポイントでは、承久の乱で活躍し、乱後は六波羅探題となっていた泰時が鎌倉に戻ってきたて行った政治について、見ていきましょう。