高校日本史B
5分で解ける!鎌倉時代6 鎌倉時代の政治3(第1問)に関する問題
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この動画の問題と解説
問題
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鎌倉時代4・5(鎌倉時代の政治1・2)の確認テスト【穴埋め問題】
解説
これでわかる!
問題の解説授業
問題1(1)
将軍を補佐する執権に代々就いた北条氏は、他の有力な御家人を排斥していました。
2代執権の 北条義時 は、1213年に 和田義盛 を滅ぼし、義盛の 侍所別当 の地位を引き継ぎます。
こうして北条義時は、この侍所別当と、親の北条時宗から引き継いだ政所別当を兼任し、 執権 の地位を確立しました。
義時はさらに権力を高めるため、1219年に謀略を打ちたて、3代将軍 源実朝 を、相模国の 鶴岡八幡宮 で暗殺しました。
問題1(2)
鎌倉幕府成立後も、西国は朝廷の支配下にありました。
そのなかで、西国を支配していた 後鳥羽上皇 と、東国を支配していた 北条義時 の対立から起こった戦いが 承久の乱 です。
幕府はこの戦いに圧勝し、その後西国の支配権を確立します。
問題1(3)
3代執権の 北条泰時 は、執権の補佐役である 連署 という役職を新設し、初代連署に北条時房が就きました。
時房は、泰時と共に承久の乱や六波羅探題として活躍した人物です。
また泰時は、政務や裁判のための合議制の機関である 評定衆 を正式に設置しました。
それまでも合議で政治は行われていましたが、正式に機関として設置されたのはこのときです。
今回は、鎌倉幕府の政治の前半部分について、確認テストをやっていきましょう。