高校日本史B
5分で解ける!鎌倉時代9 鎌倉時代の政治6(第1問)に関する問題
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この動画の問題と解説
問題
一緒に解いてみよう
鎌倉時代7・8(鎌倉幕府の政治4・5)の確認テスト【穴埋め問題】
解説
これでわかる!
問題の解説授業
問題1(1)
鎌倉幕府の5代執権 北条時頼 は、裁判の迅速化を図るため、 評定衆 を補佐して裁判事務を行う 引付衆 を新設しました。
また、 宗尊親王 を擁立して初の皇族将軍を迎えました。
3代執権北条泰時が評定衆を設置し、摂家将軍を迎えた、ということと比較して覚えましょう。
問題1(2)
モンゴル軍(元)の服属要求を拒否したことにより、二度にわたり元軍が襲来したことを 元寇 や蒙古襲来と言います。
一回目を 文永の役 、二回目を 弘安の役 と言いました。
問題1(3)
9代執権の北条貞時は、 内管領 と有力御家人の争いである 霜月騒動 を経て、北条氏の嫡流である 得宗 専制体制を確立しました。
ちなみにこの霜月騒動は、内管領の平頼綱が、有力御家人の安達泰盛を破った事件です。
その後貞時は、元寇により窮乏した御家人の救済のため、 永仁の徳政令 を出しています。
問題1(4)
後嵯峨法皇の死後、後深草天皇を中心に長講堂領という荘園群を基盤とする 持明院統 と、
亀山天皇を中心に八条院領という荘園群を基盤とする 大覚寺統 が対立しました。
対立が深かったため、幕府が仲介に乗り出し、結果として交互に皇位につく 両統迭立 が決められました。
今回は、鎌倉時代の後半、幕府滅亡、までの内容について、確認テストを行っていきましょう。