高校日本史B
5分で解ける!鎌倉時代9 鎌倉時代の政治6(第2問)に関する問題
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この動画の問題と解説
問題
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鎌倉時代7・8(鎌倉幕府の政治4・5)の確認テスト【一問一答問題】
解説
これでわかる!
問題の解説授業
問題2(1)
服属要求を拒否したことから、元軍が2度日本を攻めてきます。
1度目の 文永の役 で元軍の火薬や集団戦法に苦戦した幕府軍は、戦いの後に 異国警護番役 を強化します。
2度目の 弘安の役 後には、鎮西奉行に代えて 鎮西探題 を置き、九州の支配権を今までよりも強化しました。
問題2(2)
1331年、倒幕を計画して元弘の変を起こした 後醍醐天皇 は 隠岐 に配流されました。
ちなみに、この隠岐は、承久の乱後に後鳥羽上皇が流された場所でもありました。
その後、後醍醐天皇は流された先の隠岐を脱出し、河内の 楠木正成 や、他にも 足利尊氏 ・ 新田義貞 らが倒幕に動きます。
そして1333年、最後の得宗である 北条高時 が自殺したことで鎌倉幕府は滅亡しました。
元を建国し、日本に服属を要求してきたのは フビライ(=ハン) です。モンゴルを統一したチンギス=ハンの孫に当たります。
このフビライの服属要求を拒否した執権は、8代執権 北条時宗 です。