高校日本史B
5分でわかる!建武の新政
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建武の新政
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ポイントの解説授業
後醍醐天皇が親政を行った建武の新政
1333年の鎌倉幕府滅亡直後から、大覚寺統の 後醍醐天皇 (ごだいごてんのう)が行った政治を 建武の新政 (けんむのしんせい)といいます。
建武の新政は、 延喜・天暦の治を理想とする親政 でした。
延喜・天暦の治は、それぞれ醍醐天皇・村上天皇が行った親政です。
親政というのは、天皇自ら政治をすること でしたね。
武士に渡ってしまった政治権力を取り戻そうとする動きだったのです。
後醍醐天皇による親政では、天皇の命令である 綸旨 (りんじ)が絶対的な効力をもっていました。
建武の新政は三年で崩壊
しかし、建武の新政は三年足らずで崩壊してしまいます。
理由は第一に、貴族に厚い恩賞が与えられた一方で、 武士が冷遇され、倒幕に貢献した武士に不満をもたれたから です。
そして第二に、大きく政治制度を変えようとしたことで 社会の混乱を招いたから です。
政治の混乱の様子は、「二条河原の落書」(にじょうがわらのらくしょ)にも書かれました。
京都の二条河原に立てられたこの立て看板には、戦いのあとが残ったままで強盗などの犯罪も多発している、などが記されていたようです。
今回から、室町時代の一番最初の部分とも言える、建武の新政について見ていきましょう。