高校日本史B
5分でわかる!建武の新政の政治機構
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この動画の要点まとめ
ポイント
建武の新政の政治機構
これでわかる!
ポイントの解説授業
中央では記録所が政務全般を担当
京都の中央政府では、政務全般を 記録所 (きろくじょ)が担当していました。
この記録所という名称は、平安時代に後三条天皇が 延久の荘園整理令を円滑に実行するために設置した記録所(記録荘園券契所)から取った ものです。
後三条天皇は、藤原氏の財政基盤を削るためにこの記録所を設置しました。
後醍醐天皇も、 武士の政治から天皇の政治に変えていこうという意図 で、政務全般を行う記録所を設置しました。
また、後醍醐天皇は綸旨だけでは処理できない訴訟・裁判を担当させるため、 雑訴決断所 (ざっそけつだんじょ)を置きました。
恩賞を与える恩賞方(おんしょうがた)、武士を統率する武者所(むしゃどころ)も合わせて押さえましょう。
武士を統率する役所は、鎌倉幕府や室町幕府では「侍所」ですが、建武の新政では「武者所」なので気をつけましょう。
この武者所のトップには、鎌倉を攻め滅ぼした新田義貞が就きました。
国司と守護の併置は機能しなかった
地方では、京都以外を押さえるための役所を置きます。
鎌倉と東北に、それぞれ支配権を確立するための役所を設置しました。鎌倉将軍府と陸奥将軍府です。
また、 国司と守護が各地に併置 されました。
しかし、 貴族が任命されることの多い国司 と、鎌倉時代から引き続き 武士が担当する守護 が同じ国にいることは、トラブルの元となったようです。
このポイントでは、建武の新政の政治機構を詳しく見ていきましょう。
鎌倉幕府の政治機構と同様に、中央(京都)と地方(京都以外)で分けて覚えましょう。