高校日本史B
5分でわかる!南北朝の動乱
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この動画の要点まとめ
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南北朝の動乱
これでわかる!
ポイントの解説授業
足利尊氏が中先代の乱を鎮圧後、京都に攻め入る
後醍醐天皇の 建武の新政 に対する武士の不満が募る中、北条時行が 中先代の乱 (なかせんだいのらん)という反乱を起こします。
北条時行は、鎌倉幕府最後の得宗であった北条高時の息子です。
時行は、建武の新政に不満を持つ武士や北条氏の残党を集め、一時、鎌倉を奪回します。
この乱に対して、 足利尊氏 (あしかがたかうじ)が派遣され、中先代の乱は鎮圧されました。
しかし鎮圧後、足利尊氏は天皇に反旗を翻しました。建武の新政に不満を持つ武士たちをまとめ、京都に向けて進軍したのです。
一度は敗れますが、湊川の戦い(みなとがわのたたかい)で楠木正成を破って入京しました。
南朝と北朝に分裂! 長い南北朝の動乱が始まった
足利尊氏は入京後、光明天皇を擁立すると、基本政策を記した 建武式目 (けんむしきもく)を出します。法律ではなく、あくまで「このような政治をしていく」という基本方針を示したものです。
追い出された 後醍醐天皇 は京都を出ますが、皇居を京都の南にあった 吉野 に移して、 吉野(南朝)こそが正当な朝廷であると主張 します。
こうして、光明天皇の北朝、後醍醐天皇の南朝が並立したことで 南北朝 の時代が始まります。
この「南北朝の動乱」と呼ばれる争いは、室町幕府3代将軍の義満の時代、1392年までずっと続いていくこととなります。
今回は、「 南北朝の動乱 」(なんぼくちょうのどうらん)について学習していきましょう。
まずは、朝廷が 南朝 と 北朝 の二つに分かれた原因から見ていきます。