高校日本史B
5分で解ける!建武の新政と南北朝の動乱3(第1問)に関する問題
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この動画の問題と解説
問題
一緒に解いてみよう
建武の新政と南北朝の動乱の確認テスト【穴埋め問題】
解説
これでわかる!
問題の解説授業
問題1(1)
鎌倉幕府滅亡後の、後醍醐天皇による政治を 建武の新政 と呼びます。
この建武の新政は、醍醐・村上天皇が行った延喜・天暦の治を理想として、摂政・関白を置かない 親政 が行われました。
建武の新政の「新」の字と親政の「親」の字は異なるので、注意しましょう。
問題1(2)
1335年、北条高時の息子である北条時行が、鎌倉幕府再興を目指して 中先代の乱 を起こしました。
この反乱は 足利尊氏 によって鎮圧されましたが、尊氏はそこで反旗を翻して京都に攻め入り、後醍醐天皇を追い出して 光明天皇 を擁立しました。
問題1(3)
足利尊氏に京を追われた後醍醐天皇は、皇居を大和国(今の奈良県)の 吉野 に移します。
これにより、京都の北朝(足利幕府側)と吉野の南朝(後醍醐天皇側)、という形で南北朝が並立することになりました。
問題1(4)
南北朝の争いの中、北朝の内乱として足利尊氏と弟の足利直義の間に 観応の擾乱 が起こりました。
尊氏の側には 高師直 がつきました。
最終的に、尊氏は直義を毒殺することでこの争いを終わらせます。
南北朝の動乱について、確認テストで確認していきましょう。