高校日本史B
5分でわかる!足利義満の時代
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この動画の要点まとめ
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足利義満の時代
これでわかる!
ポイントの解説授業
明徳の乱で山名氏を討伐
義満は1391年、 明徳の乱 (めいとくのらん)で 山名氏清 (やまなうじきよ)を討伐します。
当時の山名氏は、日本全体の66か国のうち11か国を所有していたため、「六分一殿」と呼ばれるほどの力を持った武士でした。
以下の地図でも、山名氏が力を持っていたことが分かると思います。
南北朝を合一! 60年続いた分裂の時代に終止符が打たれた
また義満は、南朝と北朝に分かれていた朝廷の合一を目指します。
当時、南朝には後亀山が、北朝には後小松天皇が、それぞれ即位していました。
そこで義満は、後亀山天皇が後小松天皇に譲位するよう働きかけ、 1392年 に 南北朝の合一 を実現します。
これにより、60年ほど続いた 天皇が二人いる南北朝時代が終わりを告げました 。
その後、義満は将軍職を義持に譲り、自らは太政大臣となって、政治を続けていきました。
今回から、室町幕府の政治について、義満の時代から見ていきましょう。
南北朝の動乱のさなか、足利義満が3代将軍として就任します 。
そして義満は、室町という場所で、自分が中心となった政治を行いっていくこととなります。
その、金閣寺を立てたことでも有名な足利義満について、まずは詳しく見ていきましょう。