5分でわかる!明(日明貿易開始まで)
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この動画の要点まとめ
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中国で明が建国! しかし倭寇に苦しめられる
室町時代には中国との間で 日明貿易 (にちみんぼうえき)が行われていましたが、始まるまでに様々な経緯がありました。
明 は、1368年に朱元璋(しゅげんしょう)が建国した国です。
ちなみに、明の前の中国は、日本に侵攻もしてきた元という国でした。
その明は、中国や朝鮮の沿岸で略奪を行う 倭寇 (わこう)という海賊に苦しめられていました。
下の地図において、中国や朝鮮の沿岸の白くなっている部分が、倭寇の暴れた地域です。
倭寇取締りの要求は、南北朝の動乱の中で対応できなかった
倭寇には、日本人が多く混じっていたようです。
そのため、 洪武帝として即位した朱元璋は、日本に倭寇禁圧を要求します 。
しかし、日本でも南北朝の動乱などで倭寇まで手が回らず、倭寇に対応できない状況が続きました。
そんな中、足利義満の時代に南北朝の合一が果たされます。
そこで義満が中心となって、1401年、遣明船が派遣されます。
祖阿(そあ)というお坊さんと、肥富(こいずみ)という博多の商人の二人を派遣し、手紙を託して、外交を始める準備をします。
日明貿易の開始! 勘合を使って倭寇と区別
何回か手紙でのやり取りが続いた後、 1404年に朝貢形式の日明貿易が始まります 。
朝貢形式とは、日本が明の臣下に降るという形で、日本から明に貢物を持っていき、その代わりに、より多くのお返しをもらう、という貿易形態 です。
しかし、倭寇の脅威が去ったわけではないため、安全に貿易を行う方法が必要になります。
そこで、倭寇の船と、正式な貿易船とを区別するために 勘合 (かんごう)という札を用いました。
このように、一つの札を二つに分け、片方は中国、もう片方は貿易船が持ち、しっかりと重なる場合のみを正式な貿易船と認定します。
ちなみに、この勘合をチェックするのが寧波(ニンポー)という港町で、実際に貿易をするのは、はるか北の北京(ペキン)という町でした。
倭寇対策で、貿易地を遠い場所に設定していたのです。
今回からは、室町時代の外交について勉強していきます。
まずは、中国(明)との関係について見ていきましょう。