高校日本史B
5分でわかる!明(日明貿易の展開)
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この動画の要点まとめ
ポイント
日明貿易の展開
これでわかる!
ポイントの解説授業
義持が中断し、義教が再開
足利義満が開始した日明貿易ですが、次の4代将軍足利義持は、明の臣下としてへりくだる 朝貢 形式を屈辱として、貿易を中断します。
しかし 朝貢は、貢物を持って行く日本のほうが、その数倍の返礼をもらえるため、貿易上儲かるようになっていました 。
そのため、6代将軍足利義教は貿易によって得られる利益を重視し、貿易を再開します。
特に、義教は「恐怖政治」と呼ばれる政治を行い、敵も多く、軍事費として莫大なお金を必要としていたため、都合がよかったのです。
応仁の乱で、貿易の実権が幕府から大名へ
8代将軍足利義政のとき、1467年から始まった応仁の乱によって、京都はぼろぼろになり、幕府の権威も失墜し、戦国時代へと入っていきます。
そして、幕府が力を失ったことで、日明貿易の実権は幕府から守護大名へと移ります。
幕府も、大名に貿易を任せてそこから少しの税金を取る、という形で関わるだけになっていきました。
その大名のうち、特に 博多の商人と手を結んだ大内氏 と、 堺の商人と手を組んだ細川氏 が貿易の利益ををめぐって争います。
この大内氏と細川氏が、1523年に中国の寧波で衝突した事件を 寧波の乱 (ニンポーのらん)と呼びます。
これに勝利した大内氏と博多の商人が貿易を独占しましたが、その後、1551年に大内氏が滅亡したことで貿易が衰退してしまいます。
寧波の場所も、もう一度確認しておきましょう。
最後に、日明貿易の流れをもう一度確認しよう
ここまでの、日明貿易の大きな流れを改めて確認してみましょう。
まず、 足利義満が開始 し、 義持が朝貢形式を屈辱として中断 します。
義教が貿易の利益を求めて再開しますが、応仁の乱後に実権が大名に移ります。
寧波の乱で大内氏が勝利し博多商人と共に貿易を独占しますが、大内氏の滅亡で貿易自体が衰退していきました。
このポイントでは、日明貿易がどのように展開していったのかについて、見ていきましょう。