5分でわかる!戦国大名(中部)
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この動画の要点まとめ
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戦にも、領国支配にも優れた武田信玄
予め断っておくと、上の地図は厳密に支配地域を示したものではなく、戦国大名の支配が及んだ国を大まかに表したものです。
そのため、実際の勢力範囲とは若干異なる部分もありますが、大体この辺りを支配していたんだな、という指標として見てください。
まず、越後(新潟県)では、関東管領であった山内上杉氏を長尾景虎が継ぎ、上杉謙信(うえすぎけんしん)と名を改めました。
この謙信と激しい戦いを繰り広げたのが甲斐・信濃(長野・山梨県)の 武田信玄 (たけだしんげん)です。
中部の戦国大名では、まずこの信玄をしっかりと覚えましょう。
信玄は戦に優れた武将として有名ですが、 分国法『甲州法度之次第』(こうしゅうはっとのしだい)を定めた り、
水害に備えて信玄堤を築造した りするなど、領国支配にも優れていました。
ちなみに、上杉謙信と武田信玄の戦いは有名ではありますが、テストでは領国支配などの功績も多い信玄のほうが出されやすいです。
駿河・遠江(するが・とおとうみ、静岡県中部・西部)は 今川義元 (いまがわよしもと)の領国でした。
織田信長と「桶狭間の戦い」(おけはざまのたたかい)を戦った大名です。
今川氏は、『今川仮名目録』(いまがわかなもくろく)という分国法を制定したことも覚えておきましょう。
尾張の織田氏は、この時代はまだ国の統一が不完全だった
越前(福井県)には、朝倉孝景がいました。
分国法として、『朝倉敏景十七箇条(朝倉孝景条々)』(あさくらとしかげじゅうななかじょう、あさくらたかかげじょうじょう)を定めました。
そして、 一乗谷 という城下町を築いています。
尾張(愛知県西部)は、 織田氏 が勢力を握っていました。
戦国時代の織田信秀(信長の父)は、尾張国をちゃんと支配できていたわけではありませんでした。
皆さんも知っている信長の代になって、大きく力を伸ばすことになります。
その信長の全国統一過程で、さきほどの朝倉氏などもまた出てきます。
次に、中部の戦国大名について見ていきましょう。