高校日本史B
5分でわかる!戦国大名(四国・九州)
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この動画の要点まとめ
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四国・九州の戦国大名
これでわかる!
ポイントの解説授業
中国地方の下剋上、大内氏→陶氏→毛利氏 九州地方ではキリシタン大名が活躍
四国では、まず讃岐(香川県)の 三好長慶 (みよしながやす)が将軍・管領を追放して京都を制圧しましたが、晩年は家臣の松永久秀に実権を奪われてしまいました。
「三好」の字は、「三善」などと間違えやすいので注意しましょう。
同じく四国の土佐(高知県)では、 長宗我部元親 (ちょうそかべもとちか)が勢力を広げていました。
九州では、豊後(ぶんご、大分県)の 大友義鎮 (おおともよししげ)が重要です。大友宗麟(おおともそうりん)という名でも知られています。
城下町の 府内 には、後にフランシスコ=ザビエルが来て、キリスト教を布教しました。
義鎮自身もキリスト教に改宗し、キリシタン大名となります 。
薩摩(さつま、鹿児島県西部)では、 島津貴久 (しまづたかひさ)が勢力を持って、鹿児島という城下町を発展させます。
この島津氏は、この時点ではそれほど重要ではありません。
しかし、島津氏は江戸幕府が成立した後も残り、倒幕に重要な役割を果たしていくことになります。
次に、四国・九州の戦国大名について見ていきましょう。