高校日本史B
5分で解ける!戦国時代・都市3(第2問)に関する問題
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この動画の問題と解説
問題
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戦国時代・都市の確認テスト【一問一答問題】
解説
これでわかる!
問題の解説授業
問題2(1)
豊後(大分県)のキリシタン大名は 大友義鎮(宗麟) です。
後に、 天正遣欧使節 (てんしょうけんおうしせつ)というキリスト教徒の少年使節団を派遣する人物でもあります。
問題2(2)
国人や地侍の収入、つまり土地から取れる年貢の量を銭に換算し、軍役や税の基準とする制度を 貫高制 (かんだかせい)といいます。
土地の収入額などを領主や名主(みょうしゅ)に自己申告させる制度を 指出検地 (さしだしけんち)といいました。
後の秀吉の時代に、貫高制は石高制に、指出検地は太閤検地に、それぞれ代わっていきます。
問題2(3)
信濃の善光寺(ぜんこうじ)の門前町として栄えた都市は 長野 です。
堺で自治を行っていたのは 会合衆 です。
堺と博多は港町の自由都市という点が同じであるため、混同しがちです。
堺は36人の会合衆、博多は12人の年行司によって自治が行われていた 、ということを改めて思い出しておきましょう。
下剋上で大内氏から国を奪った陶晴賢を討ち、中国地方の統一を進めた戦国大名は 毛利元就 です。
大内氏→陶氏→毛利氏、という順で下剋上が行われました。