5分でわかる!キリスト教伝来
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この動画の要点まとめ
ポイント
スペインからやってきた最初の宣教師ザビエル
最初に日本にやってきたのは、 スペイン人 の フランシスコ=ザビエル です。
四人の中で最も有名な宣教師ではないかと思います。
ザビエルは、 1549年 に鹿児島に来日し、布教活動を始めます。
鹿児島というのは、今の鹿児島県全域ではなく、薩摩国の鹿児島という港町のことです。
ザビエルは当時の日本の中心、つまり天皇の住む京都に行きますが、京都での布教は許可されませんでした。
周防(すおう)の山口、豊後(ぶんご)の府内(ふない)で布教した後、2年余りで帰国します。
地図には、ザビエルが布教活動を行った土地が示されています。
このうち、豊後の大名がキリシタンとなって重要な活動を行います。
ポルトガルのビレラとフロイス
ザビエルは大きな実績を残すことができませんでしたが、 ポルトガル人 の宣教師ガスパル=ビレラと ルイス=フロイス の二人は大きな足跡を残しています。
ガスパル=ビレラが来日中に書いた手紙などをまとめて作られた「耶蘇会士日本通信」(やそかいしにほんつうしん)には、堺の状況も報告されています。
この中でビレラは堺のことを、非常に発達した都市であると述べています。
この「耶蘇会」というのは、ザビエルやビエラらが所属したキリスト教の「イエズス会」のことです。
ビレラと同じくポルトガル人の ルイス=フロイス は、信長・秀吉と親交をもち、「日本史」を執筆しました。
イタリア人のヴァリニャーニは、日本に多くのものをもたらした
イタリア人宣教師 アレクサンドロ=ヴァリニャーニ は、キリスト教だけでなく多くのものをもたらしました。
まず、 学校の設立 です。
キリスト教について1から教える神学校である セミナリオ を安土や有馬に建てました。
また、そのセミナリオで教育する指導者(宣教師)を養成する コレジオ も設立しました。
次に、 活字印刷機の伝達 です。
ヴァリニャーニが伝えた印刷機で刷られたものは、キリシタン版(天草版)と呼ばれました。
最後に、豊後や肥前の大名に 天正遣欧使節 (てんしょうけんおうしせつ)を勧めたことです。
天正遣欧使節については次のポイントで詳しく扱います。
鉄砲が日本にもたらされた後、次々と来日した 宣教師 (バテレン)の布教によって、 キリスト教が伝来 します。
その中でも今回はまず、4人の宣教師を取り上げます。