5分でわかる!統一事業(全国への進出)
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この動画の要点まとめ
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桶狭間の戦いで、信長の名が全国に知れ渡る
尾張(今の愛知県)の大名であった信長の名が諸国に知れるようになったのは、1560年、京都に行く途中の 今川義元 (いまがわよしもと)を破った 桶狭間の戦い (おけはざまのたたかい)です。
兵の規模では大きく差がある今川氏を破ったことで、信長の名は全国に広まることとなります。
義元を破った信長はその後勢力を広げ、1567年には尾張の北、美濃(今の岐阜県)の斉藤竜興(さいとうたつおき)を破ります。
信長は竜興の城であった稲葉山城(いなばやまじょう)を岐阜城と改名し、本拠地を置きました。
そしてこの時以降、 天下を武力で統一する という意味の「天下布武」という印章(はんこ)を使い始めます。
浅井・朝倉に加え、自ら擁立した将軍も破って勢力を増していく
1568年に京に入った信長は、15代将軍 足利義昭 (あしかがよしあき)を擁立します。
当時の将軍家は大きな力は持っていませんでしたが、信長は義昭を将軍にしてやったという恩を売ることで、利用するつもりだったようです。
しかしこの企みは上手くいかず、後に義昭は信長と対立することになってしまいます。
そんな中、浅井長政(あさいながまさ)・朝倉義景(あさくらよしかげ)らが信長に戦いを挑みます。
1570年、信長が近江でこれを破ったのが、 姉川の戦い (あねがわのたたかい)です。
さらにその1年後、この戦いで浅井・朝倉に加担した 延暦寺を焼打ち してしまいます。
そして、1573年には自ら擁立した 足利義昭 を京都から追放します。
これにより、 室町幕府は滅亡 することになりました。
信長の統一事業を地図で確認しよう
ここまでの統一事業を、地図の上で振り返ってみましょう。
①の桶狭間の戦いは、信長の本拠地であった尾張で起こっています。
②の姉川の戦いは美濃、③の室町幕府滅亡は京都でのできごとです。
次のポイントでは、地図にも書き入れられた長篠の戦い以降を取り上げます。
今回は、 織田信長の統一事業 を扱います。
信長が天下統一を目指してどこで戦い、どのような事業を行ったのか見ていきましょう。