5分でわかる!統一事業(室町幕府滅亡後)
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この動画の要点まとめ
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長篠の戦いで武田氏を破り、近江に安土城を築城し始める
1575年、信長は三河で起こった 長篠の戦い で、甲斐・信濃を治めていた武田勝頼(たけだかつより)を破ります。
この戦いでは、屈強な武田の騎馬隊に対して、歩兵に鉄砲を持たせた 足軽鉄砲隊 (あしがるてっぽうたい)が活躍しました。
ちなみに、この戦いでは、後に幕府を開く徳川家康が信長と連合して戦っています。
長篠の戦いに勝利した信長は、1576年、近江(今の滋賀県)に 安土城 (あづちじょう)を築城し始めます。
当時の戦国大名の城と比較すると、誰もがすごい! と思ってしまうような 5層7重の天守閣を持つ 、という点で異色の城でした。
さらに、築城を開始した翌年に、楽市令(らくいちれい)という商売を活発化させる法令が発布されたことで、城下は賑わいました。
天下統一まで後一歩……のところで自殺に追い込まれた
1580年、1570年から11年間争いを続けていた 石山本願寺 と講和を結び、 石山合戦 (いしやまかっせん)が終了します。
信長は、一向宗(浄土真宗)の寺内町であった石山を攻め続けていましたが、ここが難攻不落で、11年間もかかってしまったのです。
石山本願寺の長であった 顕如 (けんにょ)は石山を追われ、後にこの地には大阪城が建つことになります。
1582年、天目山の戦いで武田勝頼を自刃に追い込み、信長は天下統一へあと一歩のところまで迫ります。
しかしその直後、突如として家臣の 明智光秀 (あけちみつひで)が京都で 本能寺の変 (ほんのうじのへん)を起こします。
守備隊が少なかった信長は、追い込まれて自殺し、夢半ばで散ることとなりました。
信長の統一事業を地図で確認しよう
最後に、このポイントで出てきた内容も、地図の上で振り返ってみましょう。
④の長篠の戦いは、三河で起こっています。
武田氏が本拠地とした甲斐・信濃ではなかったことがポイントです。
信長が自殺した⑦本能寺の変は、京都で起きています。
信長の統一事業について、1573年の室町幕府滅亡以後の流れを見ていきましょう。