高校日本史B
5分で解ける!織豊政権3 織田信長3(第1問)に関する問題
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この動画の問題と解説
問題
一緒に解いてみよう
織豊政権1・2(織田信長)の確認テスト【穴埋め問題】
解説
これでわかる!
問題の解説授業
問題1(1)
織田信長は、1568年に第15代将軍である 足利義昭 (あしかがよしあき)を擁立し入京しました。
信長は将軍を利用するつもりでしたが、結果として対立してしまいます。
信長は、その将軍の呼びかけで信長に戦いを挑んだ浅井長政・朝倉義景の連合軍を 姉川の戦い (あねがわのたたかい)で破ります。
さらに信長は翌年、浅井・朝倉に加担した 比叡山延暦寺 (ひえいざんえんりゃくじ)を焼打ちにしました。
ちなみに延暦寺は、天台宗の寺です。
その後1573年、信長は足利義昭を京都から追放し、 室町幕府を滅亡 させました。
問題1(2)
1575年、織田信長が徳川家康と連合して武田勝頼を破った戦いを 長篠の戦い (ながしののたたかい)といいます。
長篠の戦いでは、武田の騎馬隊に対して歩兵に銃を持たせた 足軽鉄砲隊 (あしがるてっぽうたい)という部隊が威力を発揮し、勝利に大きく貢献しました。
この背景に、 信長が鉄砲鍛冶の多く居た堺を直轄化 した、というポイントがあることも合わせて覚えておきましょう。
問題1(3)
天下統一へと突き進む信長でしたが、1582年、家臣の 明智光秀 (あけちみつひで)が起こした反乱により、自刃(自殺)に追い込まれます。
この事件が 本能寺の変 です。
織田信長の天下統一事業についての確認テストを行っていきましょう。