高校日本史B
5分でわかる!人民統制と東の平定
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この動画の要点まとめ
ポイント
人民統制と東の平定
これでわかる!
ポイントの解説授業
キリスト教の広がりにびっくり! バテレン追放令などで人民統制を図る
1549年に日本に伝わったキリスト教は、16世紀末には多くの信者をつくり、日本の貿易の要所である長崎が教会の所有となるほどに力を持っていました。
秀吉は先ほどのポイントで学んだとおり、1587年に島津氏を破り、九州を統一します。
それにより、キリスト教があまりに勢力を伸ばしていることに気付きました。
そのため、九州を平定した直後、同じ1587年に、秀吉は バテレン追放令 を発布して宣教師の国外退去を命じます。
気をつけてほしいこととして、この バテレン追放令の対象となったのはバテレン、つまり宣教師のみで、キリスト教の全面禁止、というわけではなかった 、ということです。
ただし、この追放令は、あまり徹底的にやれたわけではありませんでした。
秀吉は、翌1588年に、農民の武器所有を禁じる 刀狩(令) (かたながり(れい))を出しました。
刀狩令は、当時多く起きていた 一揆の防止 と、兵と農民をしっかりと区別する 兵農分離 を目的とした法令です。
小田原攻めの際に伊達氏が帰属し、全国統一が完了!
このような政策を出しながら、秀吉は全国統一の続きも行っていきます。残りは東の大名たちです。
1590年には、 北条氏 を破って 小田原を平定 します。
小田原攻めの際、 東北の伊達正宗 が秀吉に帰属したことで 東北も同時に平定 されました。
これで、 秀吉が全国をほぼ手中に収めた ことになりました。
刀狩令を出した後も、秀吉は 人掃令(身分統制令) (ひとばらいれい(みぶんとうせいれい))を出し、武士が農民に転換することなどを禁じます。
これも、刀狩令同様 兵農分離 を目的としています。
秀吉は、残った東の大名の平定を行いつつ、様々な政策を実行していきます。
このポイントでは、全国統一の仕上げと、それらの政策について見ていきます。