高校日本史B
5分で解ける!織豊政権6 豊臣秀吉3(第1問)に関する問題
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この動画の問題と解説
問題
一緒に解いてみよう
織豊政権4・5(豊臣秀吉1・2)の確認テスト【穴埋め問題】
解説
これでわかる!
問題の解説授業
問題1(1)
1582年、本能寺の変で信長が死去したことを知った秀吉は、中国地方で交戦中だった毛利氏と講和します。
そして、急いで京都へと戻り、 山崎の戦い (やまざきのたたかい)で本能寺の変を起こした明智光秀を破りました。
その後、秀吉は1583年に 賤ヶ岳の戦い (しずがたけのたたかい)で柴田勝家を破り、織田家臣のなかで信長の跡を継ぐ立場を確立させました。
同年、秀吉は石山本願寺の跡地に 大坂城 を築城し始めます。
大坂城の「坂」の字に注意しましょう。
問題1(2)
徳川家康・織田信雄連合と豊臣秀吉との戦いを 小牧・長久手の戦い (こまき・ながくてのたたかい)といいます。
この戦いは、結局明確な勝敗がつかず、講和で終了することになります。
問題1(3)
豊臣秀吉は、1585年に関白に就任し、自身の許可がない戦争を禁じる 惣無事令 (そうぶじれい)を出しました。
1587年には、宣教師に国外退去を命じる バテレン追放令 を発布します。
また秀吉は、農民統制として農民の武器所有を命じる 刀狩(令) も出しています。
この刀狩令の目的は、 農民の一揆を防止する こと、 兵士と農民を分離する(兵農分離) こと、の二点であったことも押さえておきましょう。
前回まで、豊臣秀吉が天下統一をするまでの過程と、秀吉が亡くなるまでの朝鮮出兵を主とする事業について扱いました。
今回は、その確認テストです。