5分でわかる!徳川家康の時代
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江戸幕府の始まり
関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、 1603年 に、 征夷大将軍 (せいいたいしょうぐん)に就任します。
江戸幕府の始まりです。
糸割符制度で銀の流出を防げ!
将軍となった家康はその翌年、 糸割符制度 (いとわっぷせいど)を導入します。
当時、日本は中国産の生糸を輸入していましたが、 生糸を実際に持ち込んでいたのはポルトガル人 でした。
中国産の生糸は質が高かったため、商人の間で値段がつり上がり、ポルトガル人が莫大な利益を上げていました。
しかし、あまりに値段がつり上がったままだと、 購入のための銀が海外に流出し続けてしまいます 。
そこで、江戸幕府はこの対策として、 長崎 ・ 堺 ・ 京都 の商人にのみ生糸を一括購入させます。
そして、 生糸の価格は商人が合議で決定する という取り決めをしました。
こうして、 生糸の値段を適正な価格に直して、銀の大量流出を防いだのが、糸割符制度 です。
生糸を購入できた商人は 糸割符仲間 と呼ばれます。
後に 大坂 ・ 江戸 の商人も糸割符仲間に加わると、五カ所商人とも呼ばれるようになりました。
わずか2年で将軍を引退! 「徳川の世の中」ということを世に示す
1605年、 家康は就任からわずか2年で将軍職を引退 し、息子の徳川秀忠(とくがわひでただ)に譲り、自らは 大御所 (おおごしょ)となります。
大御所とは、将軍を引退した人のことです。
家康はその後、関東から駿府(すんぷ、今の静岡県静岡市)に移り、裏から政治を動かしていくことになります。
これは、 世の中に「江戸幕府の将軍は徳川家が世襲する」と知らしめる という意図がありました。
織田信長も豊臣秀吉も、世襲が上手くいかず、天下は長続きしませんでした。
そこで家康は、 自分の息子に次代の将軍を譲り、世襲を示すと共に、自身が生きている間に秀忠に将軍職に慣れてもらおうとした のです。
過去の幕府は代替わりの際に揉め事が起きていましたが、家康はそれを避けて幕府を盤石にしようとしたのです。
いよいよここから、江戸幕府が本格的に始まります。
まずは、初代将軍徳川家康が将軍に就いていた時代の話を見ていきましょう。