高校日本史B
5分で解ける!江戸初期の政治3 家康・秀忠の時代3(第1問)に関する問題
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この動画の問題と解説
問題
一緒に解いてみよう
江戸初期の政治1・2(家康・秀忠の時代)の確認テスト【穴埋め問題】
解説
これでわかる!
問題の解説授業
問題1(1)
1600年、豊後の臼杵(うすき)にオランダ船の リーフデ号 が漂着しました。
リーフデ号に乗っていたイギリス人の ウィリアム=アダムズ とオランダ人の ヤン=ヨーステン はその後家康に仕え、外交顧問となりました。
イギリス人やオランダ人はキリスト教の布教に熱心ではなかったため、日本はその後貿易を行うようになります。
問題1(2)
1600年、徳川家康は 関ヶ原の戦い で石田三成を破り、征夷大将軍となりました。
1604年には、中国産の生糸を持ち込んでいた ポルトガル人 の暴利を抑制するために 糸割符制度 (いとわっぷせいど)を出しました。
そして、 糸割符仲間 と呼ばれる五箇所の都市の商人のみが、生糸の販売を許されました。
家康は、1605年には将軍職を秀忠に譲り、自身は 大御所 (おおごしょ)となっています。
これにより、江戸幕府将軍職を徳川家が世襲する、ということが明確になりました。
問題1(3)
1613年には、仙台藩主伊達政宗がヨーロッパに 慶長遣欧使節 (けいちょうけんおうしせつ)を派遣しました。
藩士である 支倉常長 (はせくらつねなが)が乗船し、イスパニアとの直接貿易を狙いましたが失敗に終わりました。
今回は、徳川家康と秀忠の時代についての確認テストです。
江戸時代では、それぞれの政策について、何代将軍が出したものであるかを出てくるたびに覚えていきましょう。