高校日本史B
5分で解ける!江戸初期の政治3 家康・秀忠の時代3(第2問)に関する問題
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この動画の問題と解説
問題
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江戸初期の政治1・2(家康・秀忠の時代)の確認テスト【一問一答問題】
解説
これでわかる!
問題の解説授業
問題2(1)
豊臣氏と幕府軍が戦い、その結果豊臣氏が滅亡した 大坂夏の陣 (大坂の役、などで答えてもOKです)が起こりました。
また、武士の同盟や、居城の無断修築を禁じる 武家諸法度元和令 (ぶけしょはっとげんなれい)や、朝廷や天皇を統制する 禁中並公家諸法度 (きんちゅうならびにくげしょはっと)が制定されました。
武家諸法度元和令も禁中並公家諸法度も、起草したのは (金地院)崇伝 ((こんちいん)すうでん)です。
問題2(2)
武家諸法度元和令に背いたり、幕府に逆らったりした大名には重い罰が下されました。
その1つに、大名の領地を取りつぶす罰がありました。
これを 改易 (かいえき)といいます。
他の罰として、領地替えをさせる 転封 、領地を削減させる 減封 などがありました。
問題2(3)
朝鮮出兵以来外交が途絶えていた朝鮮と、対馬の宗氏が通商条約を結んだことで交易が再開されました。
この条約を 己酉約条 (きゆうやくじょう)といいます。
己酉約条の締結により、朝鮮から 通信使 が派遣されるようになりました。
琉球から徳川将軍の交替ごとに送られた使節は 慶賀使 です。
上で出てきた 朝鮮からの通信使や、琉球国王就任のたびに送られた謝恩使と間違えないように気を付けてください 。
1615年には、大御所徳川家康と将軍徳川秀忠のもとで様々な出来事が起こりました。