5分でわかる!幕府の軍事基盤(武士の種類)
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この動画の要点まとめ
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1万石が大きなライン! 大名は藩を持って地方自治を行う
幕府に仕える武士は大きく、 大名 と 直参 に分けられます。
多少違うことははありますが、基本的に 1万石以上の土地を所有していれば大名、1万石以下なら直参です 。
大名は300~350人ほどいて、それぞれが「藩」を作ることを許されていました 。
藩では、武家諸法度など、 幕府のルールに従っていさえすれば、それ以外の税率や法律などを好きに決めていい ことになっていました。
全国300箇所以上での地方自治が行われていたわけです。
ただし、税の取りすぎで一揆などがあっても、基本的には自己責任で誰も助けてはくれませんでした。
親藩・譜代・外様 大名内でも格がある
その大名は、 親藩 (しんぱん)・ 譜代 (ふだい)・ 外様 (とざま)の3種類に分けられます。
親藩大名は徳川と血縁関係にある大名 です。
親藩大名の中でも、家康の息子たちを祖とする家である 尾張 (おわり)・ 紀伊 (きい)・ 水戸 (みと)の大名は 御三家 (ごさんけ)と呼ばれました。
御三家は徳川直系の家として将軍を輩出することができ、実際に紀伊から8代将軍徳川吉宗、水戸から15代将軍徳川慶喜などが出てきています。
譜代大名は、関ヶ原の戦いより前からの徳川家の家臣 です。
忠誠心が強いことから、幕府の要職は譜代大名のみが任命されました。
最後に、 関ヶ原以後に家臣となったのが、外様大名 です。
反乱を起こす可能性もあった 外様大名は、江戸から遠い領地に移されることが多く 、後に勉強する 参勤交代で多額の出費を強いられました 。
旗本・御家人 直参の中でも将軍に謁見できるかどうかで分けられる
藩を作れない武士たちである 直参は、将軍直属の家臣 として幕府に仕えることになります。
その中でも、将軍への謁見( 御目見得 (おめみえ))が許された直参は 旗本 (はたもと)、
御目見得が出来ない直参は 御家人 (ごけにん)と呼ばれました。
前回の職制図の中で、 目付が監視する対象として、直参(じきさん)という単語が出てきました 。
直参とは江戸幕府に仕えた武士の一部なのですが、武士はどのくらいの種類に分けられていたのでしょうか。
今回は、その武士の種類や、幕府の財政機構についてみていきます。