高校日本史B
5分で解ける!江戸初期の時代6 幕藩体制3(第2問)に関する問題
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この動画の問題と解説
問題
一緒に解いてみよう
江戸初期の政治4・5(幕藩体制)の確認テスト【一問一答問題】
解説
これでわかる!
問題の解説授業
問題2(1)
他の御三家は、今の和歌山県に藩のあった 紀伊 、今の茨城県に藩のあった 水戸 です。
先代将軍の嫡子以外で将軍が選ばれるときには、御三家のいずれかから選ばれていました。
尾張家は御三家の筆頭とされていましたが、結局、最後まで将軍が輩出されることはありませんでした。
問題2(2)
江戸幕府における監視機関について、この問題でまとめて押さえましょう。
大名の監視機関 は 大目付 (おおめつけ)、
** 旗本・御家人(直参)の監視機関** は 目付 、
京都の監視機関 は 京都所司代 (きょうとしょしだい)と呼ばれました。
なお、京都所司代は、京都の町というより朝廷の監視が目的です。
京都の監視、というと鎌倉幕府の六波羅探題など、時期によって様々な呼ばれ方があります。
ごちゃごちゃにして間違えないよう、注意しましょう。
問題2(3)
江戸幕府の統治機構では、重要な直轄都市や重要政務に対して「奉行」(奉行)が置かれました。
特に強い権限を持った 三奉行は、寺社奉行、勘定奉行、(江戸の)町奉行、の3つ です。
このうち、最高格は 寺社奉行 です。
寺社奉行は将軍の直属機関のひとつで、譜代大名が選ばれていました。
三奉行のなかで、幕領(天領)の租税徴収などを担当していたのは 勘定奉行 です。
親藩大名の中でも、家康の子を祖とする3つの大名を 御三家 と呼びました。
御三家のうち、愛知県に藩を構えていたのは 尾張(徳川)家 です。