高校日本史B
5分でわかる!四つの口
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この動画の要点まとめ
ポイント
鎖国後の外交(四つの口)
これでわかる!
ポイントの解説授業
まずは1つめのポイント、外交が行われた 「四つの口」 について、全体像から見ていきましょう。
鎖国後も「四つの口」で外交が行われていた!
江戸時代の最初のころには朱印船貿易などが行われていましたが、鎖国令が出されて、しだいに海外渡航や貿易が制限されていきました。
1641年にはオランダ商館が長崎の出島に移され、鎖国が完成しましたが、鎖国後も、4か所の外交窓口が残っていました。
その4か所とは、 長崎、薩摩、対馬、蝦夷 (ながさき、さつま、つしま、えぞ)で、 四つの口 、または四つの窓と呼ばれました。
場所もしっかり押さえておきましょう。
長崎は今も同じく長崎県、薩摩は今の鹿児島県、対馬は九州の北で朝鮮半島との中間辺りにある島、蝦夷は今の北海道です。
四つの口、それぞれでどこと貿易を行っていたのか!
長崎では 出島 (でじま)で オランダ と、 唐人屋敷 (とうじんやしき)で 中国(清) との外交が行われました。
薩摩 では 島津氏 が 琉球 と交流を持ち、 対馬 では 宗氏 が 朝鮮 と交流を持ちました。
蝦夷 は現在の北海道のことで、先住民の アイヌ が住んでいました。
彼らと関係を持っていた蠣崎氏(かきざきし)は1599年に、江戸の頭頃に松前氏と改名し、蝦夷は松前地・松前藩などとも呼ばれました。
ふつうの藩と違って、当時の北海道では米が取れません。
そのため、一般的な「石高」の代わりに、 アイヌとの交易 で収益を上げる特殊な支配体制がとられました。
今回は鎖国後の江戸時代を通じた日本の外交について見ていきます。
鎖国とはいえ、外国との交流が完全になくなったわけではありませんでした。
江戸時代を通じて、 日本はどのような場所で、どのような国や人々と外交を行っていた のでしょうか。