高校日本史B
5分でわかる!貿易相手国
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この動画の要点まとめ
ポイント
貿易相手国
これでわかる!
ポイントの解説授業
オランダ風説書と唐人屋敷
1641年、オランダ商館が長崎の出島に移され、ここでオランダと交流が行われることとなりました。
商館長(カピタン)はオランダ船が入港するたびに、 オランダ風説書 と呼ばれる海外事情書を幕府に提出します。
これは、幕府が海外のことを知る、貴重な情報源となりました。
1616年、中国では明が滅亡して 清 (しん)が建国されました。
中国人の密貿易が増加していたため、幕府は正式な中国人の居住地区として長崎に 唐人屋敷 を設置しました。
復習しよう! 慶賀使・謝恩使・朝鮮通信使
琉球・朝鮮との関係は、以前やったことなので、ここで今一度復習しましょう。
島津氏が征服した琉球からは、江戸に使者がやってきました。
日本の将軍の代替わりごとに 慶賀使 (けいがし)が、
琉球の国王の代替わりごとに 謝恩使 (しゃおんし)が来日しました。
朝鮮とは対馬の宗氏を通じて関係を持ち、 (朝鮮)通信使 が来日しました。
アイヌとの交流と反乱
蝦夷 ではアイヌとの取引が行われましていました。
しかし、日本人のアイヌ人に対する差別意識などもあり、1669年にはアイヌのリーダー、 シャクシャイン が反乱を起こします。
室町時代のアイヌの反乱であるコシャマインの戦いとの区別 に注意しましょう。
また、北海道は当時米がとれなかったため、特殊な支配方法が取られていました。
藩主(松前氏)が家臣にアイヌとの交易場所を任せ、交易の利益を取らせる 商場知行制 (あきないばちぎょうせい)が取られます。
しかし、家臣である武士たちは、商売が得意ではありませんでした。
そこで、藩主から与えられた交易場所を、さらに商人に任せるという 場所請負制 (ばしょうけおいせい)が取られるようになりました。
2つ目のポイントは、貿易相手国についてです。
改めて確認すると、 四つの口 を通して交流があったのは、 オランダ・中国・琉球・朝鮮・蝦夷(アイヌ) です。