高校日本史B
5分で解ける!江戸初期の政治12 家光の時代と初期外交6(第2問)に関する問題
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この動画の問題と解説
問題
一緒に解いてみよう
江戸初期の政治10・11(家光の時代と初期外交4・5)の確認テスト【一問一答問題】
解説
これでわかる!
問題の解説授業
問題2(1)
徳川家光が1635年に出した 武家諸法度寛永令 (ぶけしょはっとかんえいれい/2つ目の武家諸法度)を起草したのは、 林羅山 (はやしらざん)です。
ちなみに、1つ目は1615年の 元和令 で、起草者は 崇伝 でした。
この寛永令において、 参勤交代 (さんきんこうたい)が義務化され、特に江戸から遠くに住む大名にとって、重い負担となりました。
またほかにも大船建造の禁止などが定められるなど、諸大名の力を抑制するような内容でした。
問題2(2)
(2)は、四つの口のうち、長崎に関する問題です。
AやBはオランダについて。
1641年からオランダ商館が置かれたのは 出島 (出島)です。
オランダ商館長(カピタン)は、来航のたびに幕府に オランダ風説書 という海外事情の報告書を提出しました。
Cは中国(清)について
1685年以降、中国人の日本来航が増加し、それにともなって密貿易も増加しました。
初め、中国との貿易地は特に制限されていませんでしたが、密貿易の対策のため、後に 唐人屋敷 (とうじんやしき)を設置して中国人の居住地区を限定しました。
問題2(3)
1669年にアイヌの蜂起である シャクシャインの戦い が起こりました。
室町時代に起こった同様の蜂起である コシャマインの戦いと、しっかり区別しましょう 。
問題2、一問一答問題を通して理解を深めていきましょう。