5分でわかる!五街道と三都
- ポイント
- ポイント
- ポイント
- 練習
この動画の要点まとめ
ポイント
五街道:江戸と京都をつないだ東海道・中山道
五街道とは、 東海道 (とうかいどう)、 中山道 (なかせんどう)、 甲州道中 (こうしゅうどうちゅう)、 日光道中 (にっこうどうちゅう)、 奥州道中 (おうしゅうどうちゅう)のことです。「~道中」は「~街道」としても大丈夫です。
地図を見て、どの道がどのあたりを通っているのか、イメージできるようになっておきましょう。
① 東海道 は江戸と京都をつなぐ海沿いの道です。
② 中山道 は、同じく江戸と京都をつなぎますが、文字通り、山の中を通って行く道です。草津から京都までは、東海道に合流します。
③ 甲州道中 は、江戸を出発して甲斐国(かいのくに)を通り、下諏訪で中山道に合流します。
④ 日光道中 は、江戸幕府の創始者である徳川家康が祭られている 日光東照宮 (にっこうとうしょうぐう)への参詣路として交通の需要がありました。
⑤ 奥州道中 は、日光道中から宇都宮で曲がらずに直進して福島県の白河(しらかわ)に至るルートです。ちなみに白河は、のちに 寛政の改革 (かんせいのかいかく)を行った 松平定信 (まつだいらさだのぶ)の出身地としても知られています。
五街道の途中には、 各所に宿場が置かれました 。
文化史で、歌川広重の浮世絵である「 東海道五十三次 」というものを学んだことのある人は、イメージがしやすいかもしれません。
もっとも宿場が多く置かれていたのは中山道 (67宿)であり、東海道(53宿)より多いことに注意しましょう。
東海道は比較的平地が多いですが、中山道は山中を進むので移動が大変だったからでしょう。
三都:「将軍のお膝元」「天下の台所」
三都とは当時の日本の最大級の都市、 江戸・大坂・京都 を指します。
江戸 の当時の人口は100万人といわれ、世界中でもトップクラスに人口の多い都市でした。
人口の半分は参勤交代などでやってくる武士、残りの半分は町人であり、活発な消費が行われました。
江戸幕府の将軍がいる江戸城があるため 「将軍のお膝元」 とも呼ばれました。
大坂 は当時人口40万人くらいといわれますが、多くの商人が集まり 「天下の台所」 と呼ばれました。
京都 は朝廷・天皇・貴族の都市として、江戸幕府成立以降も政治的に重要な場所でした。
また京都は、西陣織・清水焼・京焼など、さまざまな伝統的手工業品を産出する手工業都市としても発展しました。
引き続き江戸時代の社会経済について、今回は交通を中心に見ていきます。
まずは1つめのポイント、 五街道 (ごかいどう)と 三都 (さんと)です。