5分でわかる!モノの流れ
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この動画の要点まとめ
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3つの流通システム
たとえば皆さんが日々食べているものが、皆さんのもとに届くまでには、たくさんの人々、施設、経路の存在がありますね。
江戸時代には、こうした、「モノの流れ」の仕組みはどのようになっていたのでしょうか。
大きく分けて3つのモノの流れがありました。
①蔵屋敷を経由して市民へ渡る「蔵物」
まずは、一番一般的な「 蔵物 」(くらもの)について。
農民から年貢などで幕府・大名のもとに集められたさまざまな物資は、まず大坂・江戸に設置された巨大な倉庫のような 蔵屋敷 (くらやしき)に送られました。
この蔵屋敷は、幕府や規模の大きい大名が自分たちで設置するもので、幕領や、自分たちの藩から集めた物資を管理していたのです。
この蔵屋敷から問屋(とんや、といや)が必要なものを仕入れ、さらに小売業者が問屋から仕入れて、一般市民に販売します。
こうした 蔵屋敷を経由する物資 を、 蔵物 と呼びます。
蔵屋敷の管理者として、モノの管理をする 蔵元 (くらもと)、カネの管理をする 掛屋 (かけや/今でいう会計係)と呼ばれる商人が置かれました。
②蔵屋敷を経由せずに市民へ渡る「納屋物」
次に、「 納屋物 」(なやもの)という物資について説明します。
大名といっても300人以上おり、 全大名が蔵屋敷を作れるほどの余裕があったわけではありません 。
また、農民としても、豊作だったりすると、年貢として納めてもまだ米などが余るときがありました。
このような場合、物資は蔵屋敷を通らず、直接問屋に売られていくこととなります。
こうしたものを、蔵物に対して 納屋物 (なやもの)と呼びました。
③「旗本・御家人への給料支給」を仲介した札差
最後は、旗本・御家人への給料支給に繋がる流れです。
江戸に暮らす武士である旗本・御家人の給料は、米で現物支給されるのが一般的でした。
この給料は 蔵米取 (くらまいどり)と呼ばれましたが、彼らに渡る米も、蔵屋敷を経由した 蔵物 の一部でした。
しかし、当時の社会、特に江戸では貨幣経済が浸透しています。
そこで、 江戸で生活していくためには、給料である米をお金に換える必要があります 。
そうした煩雑な換金業務を効率的に行うことは武士には難しかったため、それを手数料を取って引き受けたのが 札差 (ふださし)と呼ばれる商人たちです。
この 札差は、高利貸しもするようになり、大きな力を持つ商人になりました 。
ちなみに、当時の絵の中に、蔵屋敷の様子が残されています。
江戸時代の社会経済、今回は 物資の流通 を中心に見ていきます。
まずは1つめのポイント、モノの流れです。