高校日本史B
5分でわかる!武断政治
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この動画の要点まとめ
ポイント
武断政治
これでわかる!
ポイントの解説授業
江戸時代の最初の50年は恐怖政治!?
江戸幕府将軍の最初の3代、家康・秀忠・家光の治世約50年は、 武断政治 が行われていました。
部下である各大名が言うことを聞かない場合は、幕府名巨大な武力を背景に、藩を取り潰しにして領地・身分を剥奪したり(改易)しました。
こうして、武力を背景に強引に言うことを聞かせる政治を、 武断政治 と言います。
この結果として、主君がおらず仕事のない 牢人 (ろうにん)や、不法行為を繰り返す かぶき者 と呼ばれる人々が増加します。
こうして、治安が悪くなるなど 社会不安が増大 してしまいました。
慶安の変、由井正雪らの幕府転覆計画
こうした政治姿勢の転換点となったのは、3代将軍家光の死の直後、1651年に起こった 慶安の変 (けいあんのへん/慶安事件、由井正雪の乱とも言う)です。
これは、駿河国(今の静岡県)出身の学者であった 由井正雪 (ゆいしょうせつ)らが幕府に対する反乱計画を立て、それが露見して反乱前に捕まった事件です。
これを受けて、幕府としても、武力で押さえつけてもいつかは不満が爆発してしまうと考えます。
そこで幕府は、 そもそも反乱を起こそうと思われないような政治(文治政治)をしていくべきだ という考えになっていきました。
このあと、実際にどんな政治が行われていったか、見ていきましょう。
今回から、江戸時代の中盤、 文治政治 (ぶんちせいじ)について学んでいきます。
江戸幕府の将軍でいうと、 4・5・6・7代将軍の家綱・綱吉・家宣・家継 (いえつな・つなよし・いえのぶ・いえつぐ)です。
まずは1つめのポイント、その文治政治が始まる前の 武断政治 (ぶだんせいじ)について見ていきましょう。