高校日本史B
5分でわかる!徳川家宣・家継の時代
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この動画の要点まとめ
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6代将軍家宣・7代将軍家継の時代
これでわかる!
ポイントの解説授業
新井白石による正徳の治
6代家宣・7代家継の時代には、彼らの侍講(教育係)である 新井白石 が、 正徳の治 (しょうとくのち)と呼ばれる政治を主導しました。
その内容を見ていきましょう。
閑院宮家を創設して朝廷の安定化を図りつつ、節約も行う
1710年に、白石の提言により、幕府が費用を出して朝廷に新しく 閑院宮家 (かんいんのみやけ)が創設されました。
当時の朝廷にはお金がなかったため、皇位継承予定者以外は出家して、天皇にはならないのが慣例でした。
しかし、そのために適切な皇位継承者がいなくなるケースがあったため、 皇位継承の安定化を図るために、皇位継承権を保持する宮家を新たに設立した のです。
白石は、閑院宮家の創設などに必要なお金を確保するため、節約策も実施します。
1711年には、 朝鮮通信使の待遇にかかる費用を削減 し、その一方で徳川将軍の権威を維持するため、呼称を「日本国大君」から「日本国王」に変更しました。
また、元禄金銀で落ちていた貨幣の質を、それより前の慶長金銀と同等に戻した 正徳金銀(しょうとくきんぎん)の鋳造 を行いました。
海舶互市新例で貿易制限
このころになると、 国内ではあまり金銀が取れなくなっていました 。
特に銀は日本の主要な輸出品でしたが、このままでは枯渇してしまいます。
そこで、長崎貿易における中国・オランダの来航船舶数と取引額に制限を加える 海舶互市新例 (かいはくごししんれい/長崎新令・正徳新令とも言う)を制定しました。
2つめのポイント、6代家宣・7代家継の時代について見ていきましょう。