高校日本史B
5分で解ける!文治政治3(第1問)に関する問題
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この動画の問題と解説
問題
一緒に解いてみよう
文治政治の確認テスト【穴埋め問題】
解説
これでわかる!
問題の解説授業
問題1(1)
3代将軍家光までの時代は、武力で圧伏する 武断政治 (ぶだんせいじ)が行われていました。
そんな中、1651年に学者の 由井正雪 (ゆいしょうせつ)が起こした慶安の変がおきます。
この慶安の変をきっかけとして、50歳未満の大名の 末期養子 (まつごようし)の禁を緩和するなど、儒教的徳治主義によって治める 文治政治 が行われるようになりました。
問題1(2)
5代将軍綱吉は 儒教に基づき、主君に対する忠と父祖への孝、そして礼儀による秩序を重視 しました。
綱吉は、武家諸法度天和令を発布し、儒教に基づいた文言を追加します。
また、孔子をまつる 湯島聖堂 を建設するとともに、併設した 聖堂学問所の大学頭 に 林信篤(林鳳岡) (はやしのぶあつ(はやしほうこう))を任じました。
問題1(3)
6代将軍家宣と7代将軍家継の時代には、朱子学者の 新井白石 (あらいはくせき)が侍講として政治の補佐を行い、 正徳の治 (しょうとくのち)と呼ばれる政治をおこないました。
その中で、幕府が費用を出して 閑院宮家 (かんいんのみやけ)という宮家を創設しました。
また貿易統制令として 海舶互市新例 (かいはくごししんれい)を出しました。
「例」を「令」と書き間違えないよう注意しましょう!
今回は、文治政治についての確認テストです。
4代将軍家綱から7代将軍家継までの、様々な出来事を振り返って学習していきます。
まずは問題1、穴埋め問題を通して理解を深めていきましょう。