高校日本史B
5分でわかる!享保の改革(1)
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この動画の要点まとめ
ポイント
享保の改革(相対済し令・町火消・目安箱)
これでわかる!
ポイントの解説授業
それでは具体的な内容を3部にわけて見ていきましょう。
まずは1つめのポイント、 相対済し令・町火消・目安箱 についてです。
相対済し令で裁判を迅速化!
このころの幕府は慢性的な財政難でしたので、武士たちに給料がきっちり支払えないこともありました。
そうすると 武士たちは生活のために借金をしなくてはならず、結局返せなくなり、貸主から訴えられるケースが激増していました 。
これによって裁判所の業務が逼迫してしまいます。
幕府はこれに対応するため、1719年、金銭貸借関係の訴訟は受け付けないとする(貸した人と借りた人同士で各自直接解決させる) 相対済し令 (あいたいすましれい)を定め、裁判の迅速化を図りました。
町火消で消火活動を迅速化!
「火事と喧嘩は江戸の華」といわれたくらいで、 当時の江戸では火事が大変多くおこりました 。
ほとんどの家屋は木造であり、それが非常に密集していたため、すぐに広範囲に延焼してしまうのです。
幕府が組織した定火消(じょうびけし)という消防隊はありましたが、とても追いついていませんでした。
そこで町人たちが、自分たちで消防隊を組織します。
それが、1720年に作られた、 いろは47組 などの 町火消 (まちびけし)です。
目安箱で庶民の意見を募集した
1721年、庶民が意見を投書し直接将軍に見てもらえる 目安箱 (めやすばこ)が設置されました。
ちなみに投書は記名制だったので、投書する人にはある程度の責任と覚悟が必要だったでしょう。
こうした目安箱への投書から実現したものとしては、 小石川養生所 (こいしかわようじょうしょ)という医療施設があります。
今回から、 江戸時代の三大改革 の最初のものである 享保の改革 (きょうほうのかいかく)について見ていきます。
享保の改革を主導したのは8代将軍 徳川吉宗 (とくがわよしむね)です。
徳川御三家の一つである紀伊(現在の和歌山県)徳川家出身で、紀伊藩主でもありました。