5分でわかる!田沼時代(1)
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側用人から老中まで出世して様々な政策を行った田沼意次
10代徳川家治の時代の1767年に 田沼意次 (たぬまおきつぐ)は 側用人 に就任し、幕政の実権を握りました。
側用人といえば、5代綱吉の時の柳沢吉保なども有名ですね。
さらに田沼意次はその後、1772年に老中になっています。
意次は 経済の活性化 により幕府の財政難を立て直そうとっして様々な政策を行います。
しかし、賄賂の横行による政治の腐敗や、大きな天災の続発などにより支持を失い、最後には志半ばで失脚していくことになります。
商業政策による内需拡大
意次は様々な商業政策を行って国内の経済を活発化しようとしました 。
このころ、幕府の財政は相変わらず足りていなかったのですが、庶民や大名からの税金を上げるのは限界でした。
そのため、意次は当時活発化していた商業に着目し、もうけていた商人たちからお金を取ることを考えました。
具体的には、以前からある金座や銀座などに加え、銅座、朝鮮人参座などをつくって 幕府の専売制を拡張 します。
さらに、享保の改革で公認された 株仲間をさらに積極的に奨励 し、民間の経済をさらに活発化させようとしました。
株仲間を推奨することで、そこから上がってくる上納金(運上・冥加)をより多く取ろうとしたのです。
また1772年に 南鐐ニ朱銀 (なんりょうにしゅぎん)という計数銀貨を発行します。
元々、大坂で流通していた銀貨は、重さを量って使う秤量貨幣でした。
しかし、いちいち重さを量って使うのは面倒だったため、金で2朱の価値がある銀貨を作って、銀貨を使いやすくしました。
金2朱というのは、8枚(16朱)で1両、つまり金貨の小判1枚の価値ということです。
貿易を拡大、支払いは珍味!?
長崎貿易は、銀が流出してしまうという理由で、 新井白石の海舶互市新例が出されて以来制限されていました が、 意次はこれをむしろ緩和しました 。
ただし、銀が流出してしまうことを防ぐため、銀の代わりに銅や 俵物 (たわらもの)で支払うことで対応します。
俵物とは、いりこ、ふかひれ、ほしあわびなどの海産物珍味のことで、特に中国人には中華料理の食材として珍重されていたのです。
今回は、江戸時代の三大改革のうち、 享保の改革と寛政の改革の間 に出てきた 田沼意次 (たぬまおきつぐ)の政治について見ていきます。
まずは1つめのポイント、商業政策と貿易拡大です。