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5分でわかる!大御所時代(北方探検とロシアとの関係)

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この動画の要点まとめ

ポイント

大御所時代(北方探検とロシアとの関係)

近世43 単語1近世43 ポイント1 左棒アイコン+<1808>間宮林蔵のところまで

これでわかる!
ポイントの解説授業
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今回は、三大改革の 寛政の改革と天保の改革の間の時期 にあたる 大御所時代 (おおごしょじだい)について見ていきましょう。
第11代将軍徳川家斉(とくがわいえなり)が将軍、そして将軍を譲り大御所として過ごした時代を大御所時代といいます。
この時期には外国との関係にいろいろと変化が起こります。

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まずは1つめのポイント、北方探検とロシアとの関係についてです。

近藤重蔵と間宮林蔵の北方探検

近世43 ポイント1 <1798>近藤重蔵(1つ目)+<1808>間宮林蔵(4つ目)

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少し前、 田沼意次の時代に、最上徳内が蝦夷地(北海道)の探検を行いました
これからやる内容は、その続きとなる蝦夷地探検と開発の歴史についてです。

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1798年には 近藤重蔵 (こんどうじゅうぞう)が、蝦夷地の北東にある千島列島を探検し、その中の 択捉島 (えとろふとう)まで行きました。
近藤重蔵が「択捉島まで探検した」ことが、この後のロシアとの国境問題、ひいては現代の北方領土問題と呼ばれることにまで関わってくることもあるので、覚えておくと良いでしょう。

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1808年には、 間宮林蔵 (まみやりんぞう)が 樺太 (からふと)を探検しました。
樺太は、蝦夷地の北にあり、蝦夷地(つまり北海道)よりも大きな島です。

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蝦夷地探検の3人衆として、この 最上徳内、近藤重蔵、間宮林蔵の3人の名前と探検した内容 をしっかりと区別して覚えましょう。

レザノフを冷たくあしらいつつ、ロシアを恐れて薪水給与令を出した

近世43 ポイント1 <1804>レザノフ(2つ目)+<1806>文化の薪水(3つ目)

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寛政の改革が行われていた1792年に、ロシアから ラックスマン が根室に来航しました。
この時幕府は、根室では通商交渉に対応できないとして、長崎への入港証を渡して帰国させていましたね。

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それを受けて、1804年には、ロシア使節 レザノフ が長崎に来航し、通商を要求します。
しかし、幕府はずさんな対応の末、これを拒否して帰国させました。
この対応に激怒したレザノフの部下が中心となって、後に樺太や択捉などの北方各所の日本の拠点に攻撃を行うことになります。

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レザノフが来航するなど、外国の圧力を恐れた幕府は1806年に 文化の薪水給与令 (ぶんかのしんすいきゅうよれい/別名:文化の撫恤(ぶじゅつ)令)を出して、 外国船に対しての飲料水・燃料の給与を認めました
当時日本を訪れる外国船は貿易だけでなく、日本近海での漁業をする目的もあったので、そうした船に対して水や薪を与えるくらいはよし、としたのです。

この授業の先生

黒川 広貴 先生

「どこがテストに出るの?」「どうやって覚えたらいいの?」「どうしたら点数がとれるの?」という疑問に答え、着実に点数を伸ばすための授業を展開。

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