高校日本史B
5分でわかる!大御所時代(外国船の接近と異国船打払令)
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この動画の要点まとめ
ポイント
大御所時代(外国船の接近と異国船打払令)
これでわかる!
ポイントの解説授業
イギリス船が長崎に侵入! フェートン号事件
1808年に、イギリス船 フェートン号 がオランダ船を追って長崎湾内に侵入しました。
当時、イギリスとオランダは仲が悪く、オランダ船を捕まえようとして追いかけていたのです。
日本は、ロシアとのこともあり、断固とした措置をとることができず、結局イギリス人たちの要求を呑んで水や食料などを与えることになりました。
これが フェートン号事件 です。
この事件の後、長崎奉行が責任を取って切腹したこともあり、幕府に大きな衝撃を与えることになりました。
国後でロシア人を捕まえた! ゴローニン事件
1811年、日本側はロシア人 ゴローニン (ゴローウニン)を千島列島南端の国後(くなしり)島で捕らえました。
しかし、その翌年、ロシア側の報復として、同じく国後で 高田屋嘉兵衛 (たかだやかへい)が捕らえられます。
結局この事件は、双方が共に釈放され、交換で帰国し、一件落着となりました。
方針を転換して、外国船に厳しく当たる異国船打払令
以上のような度重なる外圧を受けて、 1825年 、幕府は外国船撃退命令である 異国船打払令 (いこくせんうちはらいれい、無二念打払令)が発令します。
「一発ゴーン(1825)と打ち払え」というごろあわせで覚えると良いでしょう。
このように、外国船に対して強硬な対応を指示したのです。
しかし、日本に近づいてきた外国船に対してそんな態度を取って大丈夫かなぁ、と思いませんか?
このあと実際、大騒ぎになります。2つ先のポイント「大御所時代(モリソン号事件・蛮社の獄・アヘン戦争)」で解説するので、気になる人はこの先も見てみてください。
2つめのポイント、外国船の接近と異国船打払令について見ていきましょう。