高校日本史B
5分でわかる!大御所時代(天保の大飢饉と大塩平八郎の乱)
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この動画の要点まとめ
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大御所時代(天保の大飢饉と大塩平八郎の乱)
これでわかる!
ポイントの解説授業
天保の大飢饉などから、大塩平八郎の乱が起きる
1832年から 天保の大飢饉 (てんぽうのだいききん)が起こり、東北から全国に広がりました。
数年間続いた飢饉で、この飢饉をきっかけに一揆が多く起こりました。
人々が飢饉にあえぐ中、1837年には、陽明学者であり町奉行所元与力(今でいう警察官)である 大塩平八郎 (おおしおへいはちろう)が大坂で反乱を起こしましたが、鎮圧されました。
ちなみに、この1837年は、島原の乱が起きた1637年のちょうど200年後に当たります。
この大塩平八郎の乱は、とても衝撃的な事件でした。
まず、農民などではなく、悪い人間を捕まえる側である 幕府の役人の大塩平八郎が反乱を起こした 、ということです。
更に、江戸時代に入ってから、1614~1615年の大坂の役で豊臣家が滅ぼされて以来、 はじめて実行された武士の反乱 でした。
大塩平八郎の乱後、各地で一揆が起きたり、彼の弟子を名乗る者が反乱を起こしたりするなど、 世の中はどんどん混乱 していきます。
こうした状況を受けて、 江戸幕府の権威はどんどん低下 していきました。
しかしこうした状況にもかかわらず、徳川家斉は政治にはあまり興味を示していませんでした。
むしろ文化に興味を持ち、この時代(文化・文政期)には 化政文化 (かせいぶんか)が花開きました。
3つめのポイントは、 天保の大飢饉 (てんぽうのだいききん)と 大塩平八郎の乱 (おおしおへいはちろうのらん)についてです。