高校日本史B
5分でわかる!各国の開国要求
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この動画の要点まとめ
ポイント
各国の開国要求
これでわかる!
ポイントの解説授業
各国の開国要求と、幕府の拒否
これから解説するのは、天保の改革の後の話になります。水野忠邦に代わって、老中・阿部正弘が、12代将軍・徳川家慶を補佐していたことをおさえておきましょう。
まずは、1844年、オランダ国王から、開国勧告がありました。オランダ自体は、鎖国中も日本と国交がありましたが、他の諸外国に対しても開国したほうがよいと勧めてきたわけです。
しかし、幕府はこれを拒否しました。
1846年にはアメリカ人のビッドルが浦賀に来航し、開国を要求しましたが、やはり幕府はこれを拒否しました。
1853年、同じくアメリカ人のペリーが浦賀に来航し、開国を要求しました。
このとき、ペリーはアメリカ大統領フィルモアの国書を持参していました。大統領からの正式な要求ということで、幕府としても簡単に拒否することはできません。
幕府は、「天皇の許可が必要なので、来年に返事をする」と答え、なんとか一旦帰ってもらいました。
また、同じく1853年には、ロシア人のプチャーチンが長崎に来航し、開国を要求したこともおさえておきましょう。
今回から近代に入ります。
江戸時代はまだ続いていますが、ここではペリー来航以降を近代と呼んでいます。
まずは1つめのポイント、各国の開国要求です。アメリカやロシアから、次々と使者がやってくるようになります。