高校日本史B
5分でわかる!将軍継嗣問題
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この動画の要点まとめ
ポイント
将軍継嗣問題
これでわかる!
ポイントの解説授業
操りやすい慶福か、能力のある慶喜か?
第13代将軍徳川家定は、病弱で子どもができない体であったことから、後継ぎ候補が2人浮上しました。徳川慶福(よしとみ)と一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)です。
徳川慶福は紀伊藩の出身で、当時まだ若年でした。一橋慶喜は水戸斉昭の子で、優秀であると評判でした。
井伊直弼など譜代大名は、徳川慶福を次期将軍として支持しました。譜代大名は幕政の中核を担う場合が多いのですが、彼らにとっては、若年の慶福の方が、将軍として操りやすく都合が良かったのです。
この、徳川慶福を支持した層は、南紀派と呼ばれました。
一方、一橋慶喜の支持者は、島津斉彬、山内豊信、松平慶永らが中心で、一橋派と呼ばれました。
結果的に、徳川家定が死去した際に、井伊直弼が大老となっていたこともあり、南紀派の意向が通りました。
徳川慶福が家茂(いえもち)と名を変えて、第14代将軍に就任することになります。 「家茂」 と書いて 「いえもち」 です。読み方に注意しましょう。
3つめのポイント、将軍継嗣問題です。